推しの出演作品に関する記憶を客観的に残しておきたいという欲求、あるいは「October Sky-遠い空の向こうに-」を観たおたくのレポート。

 ホテルのカードキーは忘れても、推したるあべあらんさんに関する事象は、細大もらさず覚えておきたい、と思っている。
 何の作品に出演されたか、いつどこで何を話されたかは勿論、その笑い顔もどこかとろっとしたお声も、直近で言えば、ミュージカルのカーテンコールで袖にはける際、口の形だけで「有難う」と伝えて下さったときの、きらめきに満ちた瞳も。
 おたくは、それを遮るもののない目の前で見た。見たがために、どうにかそこで時が止まらないかと願いかけたものの、冬には7ORDERさんとのDateが待っているので、願いは何とか棚上げにした。

 記憶が薄れない内にと、主観に満ちた文章を日々SNSにほろほろこぼすのは楽しい。
 あらんさんに関する他の方の文章を読んで、新たな視点を得るのも楽しい。
 特に、ご出演作について、あらんさん以外の方にも言及があり、演出やあらすじについても細かに触れられている文章を読むと、自分の記憶が補完されるのを感じる。

 わたしの両目はセルフあらんさんカメラなので、何度目の観劇でもアーカイブでも、あらんさんが舞台上にいる限り、必ずあらんさんを目で追ってしまう。これは、最初に出会った衝撃のヒプステから変わらない。もう、そういう風にできている。
 そうすると、話の流れや他の方の良きところが、記憶からそっとこぼれ落ちかねないので、他の方の詳細で客観的な文章で、作品全体に関する記憶をぎゅっと補完する。

 アーカイブが残らず、映像化の予定がない作品は、特に文章によって記憶を補完したい。
 「October Sky-遠い空の向こうに-」もそのひとつである。
 義父に暴力を振るわれた後、ひとりで何かを堪えるように立ちながら、涙をこぼさずに泣くあらんさんや、酔っ払っていてもターンのキレがとんでもなく良かったり、割れている(のは見えないけれども)腹筋で跳ね起きたりするあらんさんがいらした、あの作品。
 観劇のたび、あらんさんについてはこれでもかとつぶやいていて、あらんさんに関する記憶は今後も喚起できそうだけれど、あのあらんさんの演技を含めた、作品全体についての記憶をしかと残しておきたい。
 その欲求が、わたしにレポートを書かせました。英作文にありそうな一文。
 記憶を残すために、詳細で客観的な、それでいてあらんさんにもフォーカスしている文章を読みたいなら、自分で書けばいいじゃない。
 その結果が、以下の文章である。

 なお、どこかの記事のような体裁で書いていますが、これはわたしの脳内の記事です。もしご覧いただく際は、その点ご留意いただけますと幸いです。

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【舞台レポート】甲斐翔真、阿部顕嵐らによるミュージカル「October Sky 遠い空の向こうに」全公演、堂々閉幕。

 元NASAの技術者であるホーマー・H・ヒッカムJr.の自伝「Rocket Boys」を元に製作された映画「遠い空の向こうに」(1999年公開)が、この度ミュージカルとなり、日本初演を果たした。
 ときは1957年、冷戦只中のアメリカ合衆国ウェストヴァージニア州にある閉鎖的な炭鉱の町コールウッド。この町に生きる高校生のホーマー・ヒッカムが、ロケット打ち上げを夢見て、友人たちとともに技術の習得や環境の克服に挑む姿を描いた伝記的本作。

 いまミュージカルでの活躍目覚ましい甲斐翔真を主演に、甲斐演じるホーマー・ヒッカムの友人に阿部顕嵐、井澤巧麻、福崎那由他の注目若手俳優を迎え、ホーマーの両親として朴璐美、栗原秀雄が脇を固める本作品は、10月24日にシアターコクーンにて東京公演の千穐楽、11月14日に森ノ宮ピロティホールでの大千穐楽を迎えた。

 以下、東京公演の千穐楽の様子を詳細にレポートする。
 
 本舞台は、コールウッド炭鉱で働く鉱夫たちの低い歌声で幕を開ける。自らの生命と家族の生活をかけ、誇りを持って働く彼らの強い眼差しからは、当時のコールウッドに生きる人々の様相がまざまざと伝わってくる。
 栗原演じる炭鉱の現場監督ジョン・ヒッカムは、ホーマーの父親だが、昼食を届けにきた息子を一顧だにせず、炭鉱の安全確保に専心する。
 ランチ忘れてるよ、と明るい声で父親に話しかけたホーマーは、後にしろと両断され顔を曇らせる。
 父親に認められたいという願いとそれが叶わない苦しさを、甲斐の表情が丁寧に映し出し、ホーマーとジョンとの関係が本作品の主題のひとつであることを観客に伝えた。
 頭を低くするんだ、と宣うジョンとそれに従う炭鉱夫は、後々空を見上げ、夢を追い続けていくホーマーと対照的な姿を見せながら、炭鉱の地下深くに潜り、場面が切り替わる。

 ホーマーの友人たるロイ・リーとオデルもまた、石炭の町コールウッドに生きる少年だ。
 自らの将来について、地下には潜らないと思う、と話すホーマーに対して、「ひとはいずれ死んで土の中」なのだから賃金をもらって地下に潜ろう、と語りかけるロイ・リーの表情は決して暗いものではない。
 また、井澤演じるお調子者のオデルの言葉から、阿部の秀麗な顔に散る痛々しい青あざが、ロイ・リーの義父であるアールによるものと明らかになるが、ホーマーもオデルもそれ以上友人の家族関係に踏み込もうとはしない。
 「車もある けど抜け出せない」「卒業まで2年もあるぞ」とコミカルに歌い上げる彼らは、どこかあっけらかんとしていて、コールウッドに生まれて死ぬことも炭鉱夫以外の道を選べないことも、ホーマーを除くこの町の人々にとっては当たり前なのだと気づかされる。

 夢咲ねね演じる教師ミス・ライリーは、世界初の人工衛星スプートニクの打上げ成功という大ニュースを生徒たちと分かち合おうとするが、いじめられっ子のクエンティンと夢見るように虚空を見上げるホーマー以外の生徒は、これに興味を示さない。
 それでも、実際にスプートニクがコールウッド上空を通過する時間には、炭鉱に向かうジョンを除く町中の人々がこぞって夜空を見上げ、未知の光に目をこらす。

 このシーンについて「全員でひとつのものを見て、ステージ上のみんなの時が止まってるような感じがして、見に来て下さるひととも時間が止まるのを共有したい」と事前の記者会見で述べたのは、ロイ・リーを演じる阿部だ。
 その言葉のとおり、「星見上げれば」と甲斐が朗々と歌い上げると、シアター全体がまるでコールウッドの人々と同じ時にいるかのように静止し、気づけば観客の誰もが、彼らと同じ遠い夜空を見つめていた。

 町の人々が誰もいなくなってからも、ホーマーは宙の下に立ち続ける。
 そのせいで翌朝遅く起床したところ、ジョンはこれを見咎め、母親のエルシーのとりなしも余所に、ホーマーの兄のジムとともにスプートニクを馬鹿にする。
 ジョンとジムがスプートニクを笑うたび、生演奏のコントラバスの低い音色がカットインし、ホーマーの我慢が限界に近づいているのだと観客に悟らせる演出が面白い。
 なおも笑う彼らに対し、「ロケットつくる!」とホーマーが決意の声を上げ、本作品のメインとなるロケットづくりが始まる。
 甲斐が息を吸うタイミングに合わせてコントラバスの音が響きわたるこの場面は、オーケストラと甲斐の息の合わせどころという点でも必見だ。

 スプートニクみたいにやるつもりだ、と父親に向かって正面から夢を語り、ダイニングを出たホーマーは、その後独学でロケットをつくり上げるが、家のフェンスを吹き飛ばしたり真っ直ぐ飛ばず炭鉱に突っ込んだりと、ロケットづくりは難航する。
 それでも、ホーマー、ロイ・リー、オデルにクエンティンのロケット・ボーイズは、周囲の助けを得ながら少しずつ前進していく。

 ロケット・ボーイズが舞台に現れる場面は、彼らのくだけた冗談や少年らしいぶつかり合いに彩られ、作品に通底する重苦しい雰囲気が大きく和らぐ。
 特に、彼らがロケットの燃料として酒場にアルコールを求めに行くシーンは、オーケストラの生演奏に、密造酒のビンを叩く音、客席の力いっぱいの手拍子が相まって、まるでコンサート会場のような盛り上がりを見せた。
 密造酒を飲んだ大人たちの歌と演奏に合わせ、悪酔いしながらもはしゃぐように踊る彼らの姿は、彼らを取り巻く現実の困難さをひととき忘れさせる。
 取り分け、阿部のジャンプやターンのキレには目を見張るものがあり、その力強いダンスも本作品の見どころのひとつだろう。

 もっとも、ホーマーとともに歩んできたロケット・ボーイズの友人たちの人生も、必ずしも順風満帆ではない。
 ホーマーほど親子の関係が明確に描かれてはいないが、ロイ・リーは義父のアールから日常的に激しい暴力を振るわれている。
 ロケットの燃料を守備良く入手した酒場帰りにも、道端でアールに見つかったロイ・リーは一方的な暴力を受け、通りがかったジョンに助けられた後、ただ何かを堪えるように前を見つめ、涙をこぼさずに泣く。
 台詞がないにもかかわらず、瞳と表情だけでロイ・リーの抑圧と諦念を表した阿部の演技が秀逸だ。
 どうしようもない理不尽にぶつかっても、彼らはロケットを飛ばし続ける。そうすることで、掴み取れるものがあると信じて。

 試行錯誤を繰り返すロケットづくりと並行して、ジョンとホーマーの衝突、そしてコールウッド炭鉱に漂う終焉の気配が色濃くにじみ出す。
 一幕は、ジムの代わりに家業を背負う未来が近づく最中にありながら「必ず輝くさ」と力強く明るい声で歌うホーマーを、炭鉱夫たちが囲むように立って歌い上げるシーンで幕を降ろす。
 周囲の炭鉱夫を見回して、不安そうな背を見せる甲斐の姿に、観客が展開の不穏さを感じたまま、二幕が上がる。

 抑圧的な父親と、それに抗いながらも子どもたちを導こうとする母親。勉強よりも運動に精を出し父親に目をかけられる兄と、彼らとは異なる未来を夢見るがゆえに、心をかけてもらえない弟。
 現代日本とは必ずしも重ならない舞台設定に対し、観客は少なからずもどかしさをおぼえるだろう。
 しかしそれは、ホーマーを見つめ、背中を押す女性陣の存在によって昇華される。
 エルシーの慈愛、ミス・ライリーの友愛、そしてドロシーの親愛。
 三者の心の内は、二幕の開演間もなく吐露されることとなる。

 ホーマーの母親であるエルシーは、息子のロケットが大切なフェンスを壊した際にも、もう止めなさいとは決して言わない。
 エルシーを演じる朴が「夢見るなら 地に足つけて」と力強い歌声を響かせ、頬をこづいたり頭を軽く叩いたりと、公演ごとにアドリブを交えながらホーマーを励ませば、客席からは安堵したような笑い声がこぼれた。
 東京公演初日から同千穐楽までの間、朴の演技は少しずつ変化を見せた。
 初日は、どちらかといえばジョンの顔色を伺っているようにも感じられたが、ホーマーの失敗をとりなす際や、息子を見捨てるならば貴方も同じ目に合うのだと離縁を突きつける際の声音は、公演を重ねるごとに決然とし、息子のために決して揺らがないエルシーの芯を、いっそう強く観客に感じさせた。

 ミス・ライリーは、詩人になる夢を諦め、ロケット・ボーイズのクラブ活動をターナー校長に認めさせ、教師として彼らを全米科学コンテストでの優勝へ導く途中、病に倒れる。
 しかし彼女は、家業を背負うこととなって揺らぐホーマーを叱咤し、夢を追い続けることの神聖さと「人生は導火線に火を点け続けるしかないってこと」を教え、舞台からその姿が見えなくなっても、ホーマーを支え続ける。

 中村麗乃演じるドロシーは、炭鉱夫の娘であり、素朴にコールウッドの町を愛する少女だ。
 一幕では、揺れが制御できていないロケットを美しいと褒め、この町でともに生きることをホーマーに呼びかけたが、ホーマーが炭鉱に潜り、ロケット・ボーイズから抜けた二幕になって、それが転じることとなる。
 ドロシーとホーマーが久しぶりに二人で話すシーン、ドロシーは一幕と同じメロディラインで故郷を愛する歌を奏でながらも、ホーマーに仲間たちを追うよう促す。
 促す際の中村の語調は、公演を重ねるごとに強くなり、ドロシーが思考を重ね、ホーマーと自分との在り方に対する答えを徐々に見つけ出していったのだと感じさせた。
 決意を湛えた横顔を見せた中村が、凛と背筋を伸ばしながら、ホーマーを置いてひとりで舞台上から去るシーンは、ホーマーの成長と同時にドロシーの変化も感じさせる美しい一場面だ。

 舞台の終盤、ホーマーとジョンは、お互いの進む道、歩んできた道について、真正面から言葉を交わすこととなる。
 全米科学コンテストのためにストライキ中の工場を使いたいと申し出るホーマーと、自分と向き合わないジョンに対するホーマーの台詞は、公演ごとにその色を少しずつ変えていることがよく分かった。
 東京公演千穐楽での甲斐は、どの公演よりも力強く「僕が話してるんだ!」「どうしたらパパに気にかけてもらえるの」と悲憤に満ちた声で叫び、その瞬間、観客は自然と息を詰めた。
 一幕の開幕時点から示されていた、父親に気にかけてもらいたいがそれが叶わないホーマーの苦しさが、ここにきて頂点に達する。
 子どもと大人、息子と父親という、抗い難い構図がまたしても観客に示される。

 それが、エルシーがジョンに離縁を突きつけた後の対話では一転する。
 ホーマーは、もはやただ愛情を求める子どもではなく、その苦しみを乗り越え、対等な立場で父親を説得しようとする大人になろうとしていることが如実に表される。
 ホーマーは、顔を背けて何度も立ち去ろうとするジョンに対して、自分から近づきながら「いままで有難う、誇りに思ってくれたこと」「貴方の愛、胸に抱いていくんだ」と語りかける。
 空にも届くような甲斐の歌声は、ジョンだけでなく観客の心をも大きく揺り動かす。
 ここにきて初めてホーマーは、父親の考え方や立場を理解していること、その上で父親とは違う道を生きたいのだと、ジョンに伝えることができたのだ。

 ジョンの助力もあって全米科学コンテストに優勝したロケット・ボーイズは、コールウッドに戻ってロケットを打ち上げようとする。
 それを心待ちにする町の人々は、ただ真っ直ぐに、彼らが無事ロケットを打ち上げることを望んでいる。
 「彼ら決して諦めない 10月の空を目指す」「ロケット・ボーイズよ飛べ」と願いを込めて見守っていた町の人々は、叶えられなかった自分たちの夢の代わりではなく、ロケット・ボーイズの見た新しい夢を、彼らとともに見ている。
 スプートニクを馬鹿にし、ホーマーを笑っていたジムも、ロイ・リーに暴力を振るいロケットを隠したアールも、火遊びは許さないと顔をしかめていたターナー校長もみな、遠い空の向こうの星に焦がれるように、打ち上がるロケットを見つめていた。

 “A man's reach should exceed his grasp, or what's a heaven for?”
 「ひとは手の届く範囲の外にあるものを掴み取りに行くべきである。さもなくば、何のための天国か」
 ミス・ライリーが生徒たちに教えた、詩人ロバート・ブラウニングの言葉だ。

 その言葉のとおり、ホーマーとロケット・ボーイズは努力を続け、周囲の心をも変え、不可能とも思われた夢を掴み取る。
 彼らの姿は、環境に抗いながら夢を目指す若者はもちろん、手の届く範囲の外に手を伸ばすことを恐れるようになってしまった大人の背も、そっと押してくれる。

 「October Sky-遠い空の向こうに-」は、東京公演に続き、大阪公演及び同公演大千穐楽のリピート配信を無事に終えた。
 ロケット・ボーイズの打ち上げる物語は、本日をもってその幕を閉じたが、彼らの描いた大きな軌跡は、観た人々の心に残り続けることだろう。

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 満足しました。
 忘れたくないものを全て覚えておくことはできなくとも、あの日観て聴いたものを、いつかは忘れてしまうのだとしても、忘れたくないと願って何かを書き残そうとする熱が、いま自分の胸にあることを、幸せに思う。
 そして何より、それをもたらしてくれたあらんさんに出会えたことが、わたしの僥倖である。その幸せを、これから先も積み重ねていきたいと願いながら、この記事も幕を閉じる。